「叔母様、ニコラス様から手紙の返事が届きました」ジェニファーは自室で本を読んでくつろいでいるアンの元にやってきた。「そうなのね!? 早く見せなさい!」アンは読んでいた本を閉じると、手を突き出してきた。「はい。この手紙です」ジェニファーの手から手紙をひったくりると、訝しげに首を傾げた。「開封されているわ。まさかもう読んだの?」強い口調で問い詰めてくる。「あ、あの……宛先が私だったので……読んでしまいました」「いつも言っているでしょう!? この家の主は私なのよ? 先に私に手紙を見せるのが筋でしょう!」「すみません……次回から気をつけます……」「全く……いつまでたっても融通が効かないんだから……」ブツブツいいながら、アンは手紙に目を通し……眉をひそめた。「……何よ。この手紙……随分素っ気ないわね。命令口調なのも気に入らないわ」アンは自分のことを差し置いて手紙の内容にケチをつけてくる。「ねぇ、ジェニファー。本当にこの相手は、あなたを妻に望んでいるのかしらねぇ? 私には相手が少しも乗り気が無いように見えるのだけど」「……そう、ですよね……」痛いところを突かれてジェニファーは俯く。「まぁいいわ。相手がどんな人物だろうと、こちらにお金を融通してくれればよいのだから。それでいくら私達に支払ってくれるのかしら? 小切手があるのよね?」手紙に小切手が同封されていることが記されているので、アンは尋ねた。「はい、これです」エプロンのポケットから、小切手を出したジェニファー。「よこしなさい」「で、ですが……この小切手は、ニコラス様の元へ行く為の小切手で……」「いいから寄越すのよ!!」アンの叱責が飛んできて、ジェニファーは思わず肩をすくめた。「わ、分かりました……」ついに観念したジェニファーはアンに小切手を手渡す。「全く、始めから素直に渡せば良いものを……あら、まぁ! すごいじゃない。金貨50枚ですって! これだけあれば、半年は余裕で暮らせそうだわ」「叔母様、ですがその金貨には旅費も含まれていて……」するとアンから驚きの言葉が出てくる。「何を言ってるの! 旅費ぐらい自分で何とか出しなさい! こっちはねぇ、あなたという貴重な働き手を先方に渡すのよ? むしろ、金貨50枚なんて足りないくらいよ。だいたい、私の言った通り結婚相手に援助金の
ニコラスに手紙の返事を送り、10日後――この日、ジェニファーは仕事が休みで朝から家事に追われていた。「ジェニファー。手紙の返事は届いたのかしら?」庭で畑仕事をしているジェニファーの元に、アンが現れた。「いいえ、まだですけど」ジェニファーは採取していたトマトをカゴに入れながら返事をする。「ふ〜ん……嘘をついてないでしょうね?」「嘘なんてついていません。手紙が届いた翌日にはポストに投函していますから」「あら、そう。ならいいけど……ところで、そのトマトはどうするのかしら?」「今夜の夕食の材料ですけど?」「……そう、とにかく返事が届いたらすぐに教えなさいよ」「分かりました」返事をすると、アンはさっさと家の中へ入っていった。「……さて。次はじゃがいもの収穫をしなくちゃ」そしてジェニファーはじゃがいもの畑へ向った―― 太陽が真上に登っても、ジェニファーはまだ野菜の収穫作業をしていた。カゴの中には様々な野菜が入っている。「これだけあれば、今夜の夕食の材料は足りるわね」ジェニファーが家に入ろうとしたそのとき。ガラガラと荷馬車の音が聞こえ、顔を上げた。見ると、郵便配達の馬車が近づいてきている。「もしかして、郵便かしら……」そのまま待っていると門の外で荷馬車が止まり、配達員がやってきた。「ブルックさんですか?」「はい、そうです」「速達が届いています」配達員はカバンの中から手紙を手渡してきた。やはり思っていた通り、その手紙はニコラスからのものだった。「ありがとうございます」「ではこの受取用紙にサインをお願いします」配達員から用紙とペンを預かると、ジェニファーはサラサラとサインして手渡した。「お願いします」「……はい、確かにサイン頂きました。ではこれで失礼しますね」配達員が再び荷馬車に乗って去って行くのを見届けると、早速ジェニファーは、逸る気持ちを抑えて手紙を開封した。『早速の返事、確認させてもらった。それでは、結婚を了承したということで話を進めさせてもらう。まずは自分の釣り書きと戸籍を用意すること。必要な物は全てこちらで揃えるので、特に持参する必要はない。旅費は同封した小切手を使うように。準備が出来次第、すぐにこちらに向ってくれ。アドレスは手紙と同じだ。屋敷の者たちには分かるようにしておく』手紙にはそれだけが書かれていた
――その日の夕食の席でのこと「何ですって!? ジェニファーに結婚の申込みが来たですって!?」ジェニファーから手紙の話を聞かされたアンが興奮気味に声を荒げた。「ジェニファー、結婚しちゃうの!?」「ここを出ていっちゃうの?」双子のトビーとマークが目を丸くする。「何だよ、お前たち。ひょっとしてジェニファーがいなくなるのが寂しいのか?」14歳になり、すっかり大人びたニックが二人に尋ねる。「う、うん……」「だって……」サーシャが双子を窘めた。「トビー。マーク。ここは、皆でおめでとうってジェニファーに伝えるのが筋なのよ? 今までこの家で頑張ってくれたジェニファーの幸せを祈ってあげなくちゃ」「サーシャ姉ちゃんの言うとおりだ。今の俺達があるのは、ジェニファー姉ちゃんのおかげなんだからな」その言葉に、ジェニファーが目をうるませる。「サーシャ、ニック……ありがとう」するとアンがヒステリックな声を上げた。「何よ! また皆で寄って集って、ジェニファー、ジェニファーって! それは私に対する嫌味なの!?」キッとアンがジェニファーを睨みつけてきた。「ジェニファー。相手はどんな男性なの? 金持ち? 貴族なのかしら?」「多分、貴族です。お金も……あるとは思いますけど……」「ふ〜ん、お金持ちなのね。だったら我が家に資金援助をしてもらえるのかしら?」「! それ……は……」(結婚の申込みだけで、十分幸せなのに……資金援助の話をニコラスになんて出来ないわ……)「何よ? それくらい、相手に尋ねること出来ないの?」「母さん! いい加減にしてよ! ジェニファーまで兄さんと同じように売るつもりなの!?」ついに我慢できずに、サーシャは叫んだ。「売るですって? 人聞きの悪いこと言わないでちょうだい!」「サーシャ姉ちゃんの言う通りだ! 母さんはザック兄ちゃんを売ったじゃないか! その金すら、あっという間に使い切ったくせに!」「ニック! あんたまで何を言い出すの!」一方、まだ小さいトビーとマークは何のことか分からずに首を傾げている。「ね、ねぇ。落ち着いてサーシャ、ニック。それに叔母様も」オロオロしながらジェニファーは3人を止めようとする。「本当にこの家の者たちは皆気に入らないわ! 全員でジェニファーの肩を持つのだから……!」ガタンと乱暴にアンが席を立った。
悲しいくらいにあっさりと知らされたジェニーの死は、ジェニファーの心を傷つけるのには十分だった。ジェニーが何処でどのような死を迎えたのか、埋葬場所すら教えてもらえない現状は辛すぎる出来事だった。この一件でますますジェニファーの心は深く傷ついた。悲しみの中、日々の生活のために働き、疲れ切って眠りにつく……そんな日々を過ごすジェニファー。やがて……ある転機が訪れることになる――**** ジェニーが亡くなった知らせを受けてから、約1年の歳月が流れていた。 保育園の仕事を終えて帰宅すると、先に帰っていたサーシャが食事の用意をしていた。「あ、お帰りなさい。ジェニファー」「ただいま、サーシャ。もう仕事から帰っていたのね。すぐに手伝うわ」エプロンを付けて袖まくりをしようとしたところで、サーシャが小さく手招きした。「ジェニファー。ちょっと来て」「何?」サーシャに近づくと、そっと手紙を渡された。「手紙……?」「ええ。仕事から帰って郵便ポストを覗いてみるとジェニファーあての手紙が入っていたのよ。母さんに見つかる前で良かったわ。食事の用意は私がするから、ここで手紙を読んだら?」アンは、すぐにジェニファー宛の手紙を勝手に開封して読んでしまうのだ。「ありがとう、サーシャ」そこでジェニファーは台所に置かれた椅子に座ると、差出人を確認した。その瞬間、目を疑う。「え……? ま、まさか……」口の中で小さく呟きが漏れてしまう。けれど、それもそのはず。差出人は他でもない。あの懐かしいニコラスからだったのである。「どうかしたの? ジェニファー」野菜を切っていたサーシャが尋ねてきた。「昔の知りあいからの手紙だったから、ちょっと驚いちゃって……」「そうだったのね。あ、ごめんなさい。手紙を読む邪魔をしちゃっているわね。静かにしているわ」「ありがとう、サーシャ」サーシャが再び料理を作り始めたので、ジェニファーは手紙を開封した。(一体、手紙には何と書いてあるのかしら……今頃私にどんな用事で……?)ジェニファーにはニコラスが何と書いてきたのか、全く見当がつかなかった。緊張しながら手紙を広げ、目を通し始めた。『初めまして。私の名はニコラス・テイラー。ジェニーの夫です……』手紙の最初の記述を目にして、ジェニファーは思った。(初めまして……そうよね。ニコ
ダンが商家の娘と結婚し、それから少しの時が流れた。美しい容姿を持つジェニファーは、既に24歳となっていたが未だに未婚だった。近隣に住む年頃の娘たちは皆嫁いでいったが、未だに彼女はブルック家で暮らしている。それは貧しさゆえ、自分の持参金を準備することが出来なかったからだ。一時は婿入り先の商家から十分な援助金を貰えて、生活にゆとりがあった。しかしアンの浪費が激しく、あっという間にお金は消えて無くなり、再びブルック家は貧しい生活を強いられることになってしまったのだった。そんな貧しい生活の中でも、ジェニファーはアンに内緒で僅かばかりの給料から節約して少しずつ貯金をしていた。たとえ自分は結婚出来なくても、サーシャだけは嫁がせてあげたいと考えていたからであった……。 ある日のことだった。仕事から帰ってきたジェニファーは、いつものようにポストを覗いてみると1通の手紙が入っていた。「あら? ひょっとしてダンからの手紙かしら?」アンとの折り合いが悪かったダンは、結婚後一度もブルック家に来たことはない。その代わり、月に1度は手紙を寄越していたのだ。ポストから手紙を取り出し、差出人の名前を目にしたジェニファーの顔色が変わる。それはフォルクマン伯爵家からジェニファーにあてた手紙だったのだ。「ど、どうして今頃……」2年前ジェニーからニコラスと結婚した知らせを受けてはいたが、伯爵とは屋敷をでて以来一切の関わりが無かった。14年ぶりの連絡にジェニファーは驚いていた。(伯爵様は……何と言ってきたのかしら……)叔母に姿が見られないように、家の裏手に回ると手紙を開封して目を通し……ジェニファーは衝撃で目を見開いた。『先月ジェニーが病気で亡くなった。葬儀も既に済んで、埋葬も終わった』手紙にはただそれだけが記されいた「そ……ん、な……」あまりにも素っ気ない手紙。感情のまるで伴わない、単なる連絡事項のように綴られていたジェニーが亡くなった知らせ。ジェニーが亡くなったこともショックだったが、未だにフォルクマン伯爵からも憎まれているのだとジェニファーは悟った。ジェニファーの目に涙が浮かぶ。(伯爵様は、今も私のことを憎んでいるのね……結婚の知らせも教えてくれなかった。それどころか、ジェニーのお葬式の知らせもくれなかったわ)手紙にフォルクマン伯爵のアドレスも
「ダン! 何処へ行くの!?」ジェニファーが慌てて声をかけると叔母が叱責した。「ジェニファーッ! ほうっておきなさい!」「ですが、叔母様……」「お前は本当の家族ではないのだから、口出しはおやめ!」「!」その言葉に、ジェニファーの肩がピクリとする。「酷いわ! 母さん! ジェニファーは私達の家族よ!」「そうだよ! ジェニファーは俺達の大切な家族だ!!」サーシャとニックが反論する。「! 全く、この家の子供たちは何だって反抗的なのよ! それが、お腹を痛めて産んだ母親に対する態度なの!」「だったら、少しは母親らしい態度を取ったらどうなの! ジェニファーのほうが余程私達の母親らしいわよ!」「サーシャ……」その言葉にジェニファーが目を見開く。「な、何よ……皆して、口を開けばジェニファー、ジェニファーって……本当に面白くないわ!」アンは乱暴に言い放つと、部屋を出ていってしまった。その様子を目の当たりにしたジェニファーは自分を激しく責めていた。(どうしよう、叔母様を怒らせてしまったわ……私がもっと稼げればこんなことには……)すると……。「大丈夫、ジェニファーは何も悪くないわ。悪いのは全て母さんよ。働きもしないで、文句言う資格はないわ」「うん。俺もそう思う。ジェニファーは大切な家族だよ」サーシャとニックが声をかけてきた。「「僕達、ジェニファーが大好きだよ」」双子のトビーとマークが頷く。「ありがとう、皆。私、ダンを探してくるわ。多分外に出て行ったと思うから」それだけ告げると、ジェニファーはダンを追って外へ出た。 外へ出ると、夜空には満天の星が輝いていた。ブルック家は高台にあるので、夜空を隠すような建物が無いのでくっきりと見えた。「……綺麗な夜空。あ、そんな呑気なこと言ってる場合じゃなかったわ。ダンを捜さなくちゃ!」ジェニファーは月明りを頼りに、ダンの姿を捜し回った。「ダーンッ! 何処なの!?」呼びかけながら周囲を見渡すも、姿は見えない。「まさか、町に向ったのかしら……?」けれど、真面目なダンは夜に町へ遊びに行ったことは一度も無い。「困ったわ……あら」そのとき、月明かりに照らされて岩の上に背を向けて座っている人物が見えた。「あの後ろ姿……ダンね」そこでジェニファーは岩に近付き、声をかけた。「ダン」「え? ……ジェニ